ADHDの僕がが二浪するまで

生い立ちとこれまで

これは僕の自分語りの塊です。おそらく読んでも意味はないでしょう。

しかし少しでも僕を知っていただくために書きました。そして自分を振り返るために書きました。

自分でもただの怠け者、ダメ人間と世間で言われうる人とADHDの違いはよくわかりません。いまでも自分は怠けてるだけの意志薄弱な人間なだけなのかもしれないと思っています。そのうえで読む気になっていただけたのであれば幸いです。

とりあえず現状のおはなし

まずタイトルから見て分かるように僕はADHDです。 去年。正確に言うと2018年の11月に診断を受けました。

べつにADHDだからといって特別に不利だ。仕方ない。など根本的に諦めているわけではなく自分と同じようにADHDの人の参考になれば。と思いたちこのブログを書くことをきめました。

そしてこれもタイトル通り、二浪しています。いや、二浪になります。 受験に失敗しています。二度も。

それを踏まえて読んでいただけるとわかりやすいと思います。

 

"ADHD=注意欠陥多動性障害"についてはある程度理解が及んでいるものとみなして話していきますので、よくわからない方はご自身で調べてください。

家族

取り立て裕福でもなく、別に貧乏なわけでもない北海道の田舎で生まれます。

両親と僕・妹の四人家族です。

父親が特に厳しく、いわゆる"モラハラ"をしてくるような人です。 優しいときには優しいのですが、自己中心的であって機嫌が悪い時には恐ろしく怖いです。

それのせいで、診断は出ていませんが若干のPTSDを負っているかもしれません。

隣りにいるときはいつ手足が飛んでくるか。テーブルで向かい合っているときにはいつ食器が飛んできたりひっくり返されるか。いまでも恐怖心があります。

典型的な昭和の父親といった感じなのでしょうか。もちろん感謝している部分も多いのですが、もし「どんな人?」と尋ねられたら「怖い人」と答えるでしょうね。

悪く言えば、父親の手下みたいな感覚です。 でも父には話せないことも多く、基本的に何かを話すときは母親です。 父親とのギャップのせいかもしれませんが、個人的には無意識になめた態度をとってしまうことが多々あります。

まあ典型的なパターンかも知れませんが、僕よりかなり優秀です。 成績はオール5、学年トップを争っているような一方スポーツも万能。 あまり述べると特定されかねないので言いませんが、高校はスポーツで首都圏の強豪校に全額免除進学しました。 自慢の妹ではあるのですが、常に全てにおいて劣っている自分を意識してしまうため、小さな頃から嫉妬心がすごくありました。 いまはただ尊敬していて仲もいいです。

自分

まあ今になって思うと幼少期からADHDの要素満載だな。という子供でした。

一方しつけが厳しかったのもあってか、多動方面の障害はあまり人前では出ていないと自分では思っています。(例えば授業中に立ち歩いて〜というのはありません。)

とはいえ、言われたことが理解できず何度も怒られたり、整理整頓ができなかったり、機嫌が守れないこと等が頻発していました。

以下からは覚えていたり、聞いた範囲で生い立ちを追っていきます。

幼稚園

お道具箱が片付けられないと先生から頻繁に親に伝えられていました。 あまり活発的ではなく、おとなしい友達と折り紙やブロック遊び等をずっとしていたらしいです。

小学生

これは幼稚園期とも重なりますが、運動神経が最悪で習い事などすべてが上手く行かずに一度3年生ですべてリタイア。 その習い事に行くのが嫌すぎて、嘔吐、腹痛、発熱などの症状が出たりしたこともあります。

父親は結構スポーツをやることを推奨していて、何かを始めるたびに「このトレーニングがいい」とか本を買ってくれたりしていましたが続けてすることはできませんでした。

宿題などもまったく提出できずに毎回担任に怒られていましたね。

学校の出来事を親にあまり伝えない・大事なプリントを親にださないことはこの時期からありました。調べてみると小児期ADHDの典型的特徴です。

ただ、進研ゼミの教材は自分なりに楽しく、続けられていた自覚もあり、今思い返すと「よく頑張ってたのかな。」って思います。

前述した運動神経についてはのび太を思い浮かべていただけたら理解しやすいかもしれません。徒競走は毎回ビリ。 4年生から始めた学校のスポーツクラブもからっきしで、いじめられたこともあります。5年生の最後でやめました。

中学生

運動部に入ることをやめ、自由そうなパソコン部に入ります。

しかし、すぐに他の不良先輩グループと仲が良くなってしまい幽霊部員となりました。

それでもいろいろな縁があり、また運動部に入ることとなってその先輩グループとはめっきり会わなくなりました。

1年のうちはゆるい部活で、同級生もいなくて優しい先輩に囲まれ、楽しく学校生活を送っていました。 運動がまったくできないので後輩がはいってきたときにはレギュラーではなくなってしまうのですが...(そしてそれが原因で舐められまくるんですが)

その後輩が入ると同時に顧問がかなり厳しい先生へと変わってしまい、先輩が引退すると同時に後輩も耐えられずやめてしまいました。 その後は僕は一人で、ハイキュー!の翔陽のようにただ一人で活動してました(変な意地をはってました)。

勉強面では一年生のうちは良かったものの、二年生になるときには親に隠して貯めたお金で中古のスマートフォンを購入してしまいます。 親に秘密にしているため制限する人もいなく、スマホに依存する時間はめっきり増えました。 (Wi-Fiのパスワードを書いたメモの在処を知っていたのでネットが利用できました。)

学校が終わって家に帰り、明け方までパズドラ・LINE・Twitterなどに勤しみます。もちろん勉強なんかしなくなるので一気に成績が堕落。 通っていた塾でもコースを落とされ、まあ酷かったですね。 ADHDというのは定型の人よりも依存症になりやすいらしいです。特に物事の切り替えとかのスイッチが押せない。

そこから一応偏差値50程度の普通の高校に入学します。

高校生〜一浪

高校生

三年間での課題の提出数は指で数えられる程度。定期テストの勉強もゼロ。 普通の人なら焦って一夜漬けするところもゼロ。 ここで悪知恵が芽生えます。

模試のネタバレ利用です

これは本当にやってはいけません。ネタバレというのはご存知のかたも居るでしょうが一応説明します。

模試というのは学校によって試験日がバラバラなので、先に模試を受けて回答をもらっている人から答えを入手する一種のカンニングのことです。

親への言い訳と、周りの奴らへの見栄。これで親を騙し、先生を騙し、友達を騙し、自分をも騙し、自尊心・プライドを保っていました。そして不思議なことに、何故かその実力を自分が持っているとさえ思ってしまう現象も起きます。 因みにこの事実は誰一人周りの人にはいっていません。

ついでに白状すると成績表の書き換えも行っていました。郵便で送られてくるのでいち早く手元にかくして、エクセルで同じような表を作って評価を入力すればいいだけの簡単な作業です。 実際騙せました。これは父親に怒られることの回避です。

勉強は当然ゼロ。ただアニメを見てゲームしての繰り返しの毎日です。本当にダメダメでした。 勉強しようと思っても手に付かない。集中できない。理解できない。眠い。諦める。

根から習慣がついてなかったし、本当に堕落していました。

そして2月。一ヶ月程度の付け焼き刃の勉強の末の受験です。そして当然ながら、僕がまともに一ヶ月間も勉強できているはずもありません。

不合格

当然の結果ですが第一志望にしていた○海○園大学は6点足らずに落ちました。 一ヶ月の適当で慢心な勉強はまったく通用しませんでした。

周りの人には「レベルの高い○○大学受けたけど落ちちゃったんだよね笑」とそこでも嘘を重ね見栄を張ります。

そして親に頼み込み、受験を再チャレンジさせてもらうことに。

なんて言ったって、第二志望の夜間部しか受かっていないんだから行くところがありません。

一浪

代○ミに入ることにしました。深く調べたわけじゃないですが、他の予備校のコース認定テストってなんかすごい大層な響きだったので、頭の悪い僕が行けなさそうに見えたからです。

入ったあとは高校と違いめちゃくちゃ授業が楽しくて、授業は今までにないくらい真剣に受けていました。だって高校時代は寝るかスマホいじるか、の二択でしたから。

でも僕がやっていたのは授業を真剣に聞き、一応ノートを取るだけ。予習もまばらで、復習はほとんどしませんでした。 まあ意味があるはずないですよね。

でも中学英語の参考書と、易しいレベルの授業を選択したことによって"一応"英語がそこそこできるようになります。センター英語換算にして6割ほどでいってたしょうか。

好きな先生が何人かいて、その人の授業だけ真面目に聞いて、一応予習はして。というスタイルで前期は乗り切ります。

この程度ですら人生で一番勉強してる実感はあったのですが、やはり復習が甘い。参考書を一通りやって満足する。 古文は好きな先生がいなく、理解できずしようともしなかったため壊滅。今後も足を引っ張ります。

汚い話ではありますが 前期の終わりくらいから、性欲が目覚め始めます。大学に行ってる友達やTwitterでの集まりで、ナンパを始めるようになるんですね。 毎週クラブへ行ったり、ストナン(路上ナンパ)したり、自分磨きのために美容にも気を配り始めます。 メンズメイクをめちゃくちゃ研究してしまい、女子並みのメイクセットが今でもあります。

授業は全部出席していましたが寝てしまうことが多くなりました。それでも好きな先生のときだけ頑張って、できるだけ目を開らいていました。 好きな授業の予習と話を聞く。 一応それだけのおかげで模試では点数が若干取れるようになりましたが、安定はしません。

しかし現役生が本気を出していないこの時期の模試で、明治/青学/中央などの難関私大でB判定を取ってしまい、これまた慢心します。まぐれに過ぎない点数なのに。

この頃から起床時間が安定しないこと、不眠などにも悩まされ、鬱になっていきます。 もちろんナンパしていたのも影響しています。相手から容姿、人格を判断されるのでかなり不安定になります。普遍的な恋愛よりも負担は大きいです。

自習室でも寝てしまうことが多くなり、勉強が手につかない。頭に入らない。 不眠が原因だと思い精神科の病院に行きました。

ですが病院選択に失敗し、なにも良いことはありませんでした。

もともと朝は苦手だったのですが、一学期が終わるのを境目に一限の授業に合わせてまったく起きられなくなります。気力はなくなり、予習復習はほぼゼロ。授業中の睡眠も多くなります。

1限が終わった頃に登校し、好きな先生の授業だけ予習をして出席。

授業に出席しない=「授業を切る」というのですが、一回切った状態の授業に参加することは心理的ハードルが大きいです。なので2限以降で好きな先生限定の授業スケジュールになっていました。

イライラする事も多くなり、自己嫌悪のサイクルに入ります。 部屋も片付けられません。(これは春からですが)

ここだけの話、 夏から風邪薬のODやカフェインの多量摂取でなんとか気力を出して授業・参考書などを一応やっていましたが、服用回数・量が増えます。

そこで去年より疑っていたADHDのことをネットで調べ始め、当てはまることが多すぎたために病院を再度探します。 精神科、心療内科はガチャと呼ばれるように、医者の質や処方に大きく差があります。

運良くいい病院を引き当てられた僕は何度か通院し、検査を受けた結果ADHDだと診断されました。 11月です。 ここから僕の受験勉強は大きく一転し、処方薬のおかげで無気力感、不安感、自己嫌悪感から徐々に開放されて勉強に身が入るようになりました。

完全に以前とは違った物の見え方、捉え方、考え方ができるようになり、日中の眠気もなくなりました。 朝も以前よりは早く起床できるようになり、勉強時間も増えました。 予習もできて授業も寝ず、復習をサラッとではあってもこなせるようになったのです。

ナンパはやめて、クラブへも一切行かなくなり、僕の一浪目はここから始まったと言ってもいいかもしれません。

年間を通しての授業は終わり、ほとんど自習の時期です。 できるだけはやく(とはいっても9時過ぎ)には自習室に行き、20時くらいまで勉強をする日々でした。 勉強に身が入るようになったのはいいものの、完璧にすることが苦手でした。 具体的に言うと、何周も参考書を回すとか当然のことができません。

コンサータを飲むことによって、やる気を起こすこと、日中の眠気を防げることによっての絶対時間は増えましたし、集中力も増しました。しかし、解説を懇切丁寧に読んだり、しっかりと辞書を引いて確認するなどはできませんでした。

結局は薬によって、やる気を"増幅"するだけなので微塵もしたくないことには効果がない。そう思うのです。

ですが11月からの勉強の積み重ね、過去問の手応え、偏差値の上昇により自身は増していきました。

受験

東京にいって受験をします。高校時代の友達のおかげで泊めてもらうことができたので、一ヶ月程度滞在して受験しました。

結果から言うと、 早稲田MARCHが0/6校 ニッコマレベル1/1合格でした。

今この記事を書いていて思うのですがこんな調子じゃニッコマレベルに受かっただけでも奇跡かもしれません。 ですが謎のプライドと自信でその大学の合格を蹴ってしまいます。

そして今の僕があるのですが、おわかりいただけたでしょうか。

まとめ

普通にただのダメ人間なのですが、これがADHDなんだと思っています。 もしかしたら一生懸命やっているADHDの方には怒られるかもしれません。でも僕なりに、こんな一年ですら今までに比べたら頑張ったかもな。と思えたのです。

ADHDは頭がいい人が多い」「実はあの○○もADHDだった!」みたいな記事をよく見かけますが、おそらく僕は知能も低いし、秀でていることは何一つないです。 好きで始めてたブログも過去幾度となく閉鎖しています。 今回はただ過去のことをざっくり稚拙な組み合わせで、ただただ書き連ねただけですので、次の記事からは現状に関してや進捗などを投稿したいと思っています。 また今までのように中途半端でやめてしまうのかもしれません。 でも今年一年、死ぬ気で合格に向けて勉強するのは絶対にやめません。